創立90周年を迎えた巨人。長嶋初V巨人での出場試合が多い野手、監督投手を中心に記録にも記憶にも残る歴代の「偉人」を紹介します。を支り札タゾン第86回は山本功児。えたにも
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王貞治の陰に隠れてはいたが、代打定評山本功児は4番も務めた好打者で一塁の守備にも定評があった。の切
1951年12月25日、4番大阪府出身。も務三田学園在籍時の69年に南海からドラフト3位指名を受けるが、め塁タゾン拒否して法大へ進学。守備本田技研鈴鹿を経て、長嶋初V75年5位で巨人に入団した。監督
1年目の76年から1軍に出場し、を支り札代打の切り札として長嶋監督の初優勝に貢献。えたにも79年は117試合に出場した。代打定評王の後の守備に就いたり、外野手としても51試合でスタメン出場。第43代4番打者にもなり、打率2割9分1厘をマークした。
だが、王引退後は中畑清が台頭したため一塁に定着できず、84年にロッテに移籍。ロッテでは84、85年と一塁で2年連続ゴールデン・グラブ賞を獲得した。88年限りで引退し、コーチ、2軍監督を経て99年から5年間、ロッテの監督を務めた。
04年、2軍ヘッド兼打撃コーチで巨人に復帰。05年は1軍ヘッド兼打撃コーチとなったが、同年限りで退団した。2016年に死去。
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